村上裕の毎日の記録

毎日書いていくつもりです。

もう一つの世界

僕はいい作品を見たときにもう一つの世界に入ったように思う。

ここではないどこか。まるで別世界の旅。

それは、別の言葉で言えば普遍という言葉だ。

おそらく、何千年とたっても美術というものが存在している世界で

何千年あるいはもっと長い時間に存在し続けるであろうもう変わることがないという地点だと思わせてくれる作品。

時代によって美意識が変わるからそこまで保存されることは本当にまれであり

たとえ保存されていても、もう意味が失われ、意味の読解をなさなくなった状態かもしれない。しかし、その作品があることで明らかにその時代の認識を保存し時間を静止させているとしか思えない作品というのがある。

そのときに、僕はもう到達した世界向こう側の世界の美というの感じる。

それは時間軸からも解放された認識がむき出しの存在。

存在としか言えない状態。そういった作品がある。

モンドリアンは当時宇宙で展示することを考えていたという記事を読んだことがある。

ある時代にとっては向こう側の世界というのは宇宙であった。

人間は宇宙に出ることで、またひとつ向こう側という垣根を失ったのでもあった。

それでも、現在もいたるところに向こう側こちら側がある。

僕が向こう側にある作品だと思う作品は、同時にその垣根を越境していく力がある。

今の人は心の中にどれだけの向こう側というサイドを持っているだろうか。

ブラウン管の中からPCの中に変わったメディア空間が向こう側だろうか。

僕がインスタレーションに固執するのは、もしかしたらその向こう側をこちわ側にするためには空間を作ることなのではないかということ。

現実に向こう側の空間を作り出すこと。

それはテレポーテーションとも言えるのかもしれない。

僕がみたアーティストの向こう側のビジョンを何としてもこちら側で実現したい。

だれか、僕に展示をさせてくれ。

消えていく表現

昨日は久しぶりに僕のバンドreclearでのライブがありました。

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高円寺caveというスペースで初めて行きました。

僕らが出演したのはオリエンタルマウワールドの方で、小さなラウンジで音も小さくやる感じでした。

もともとメンバーの佐野くんがもらってきた話で、僕は全くわからない感じで当日を迎えたわけです。

佐野くんはcomi君というミュージシャンからオファーをもらったそうで、comi君と話したのは初めてでした。

comi君はかなり面白いやつでcomi君の友達もいい感じで素晴らしかった。

liveは音響が少し小さく思ったようにできない感じでした。聴いていた人たちはどうだったのかな。ひとりひとりと客が減っていた感じだったけど。まだ録音やらビデオやらを見返してないので自己反省ができていない。

 

かなり気持ちが高ぶっていて、ソロの時はそれを全部音に表現に変えることができるんだけど、バンドだと自分自身の感覚だけで決めることができない。

メンバーとの意識の差が結構できてしまい、それはバンドの醍醐味で、ソロではこういう破綻が起きないんだけど、久しぶりにうまくいかない感じが残るライブだった。

それでもなんかテンションはおりてきていたから、もう少しいい演奏にできた気がしてかなり悔しい感じだった。

客の人数も少ない感じで、しかもあんまり聞いていない感じで寂しい思いをした。

こういう時は自分自身の人生がどうしてこうなったかについて考えてしまう。

明らかにあの日僕は世界から消えていってしまう表現者であり、それに争いたくて叫んでいた。でも、それは届いただろうか。ひとりでもとどいていれば僕は救われるかもしれない。また、何の成果も出ず、人生の時間が消滅に向かっていくのはやはり怖い。

成果っていうのがなんなのかを考えればそれはもっとわからないが。ただ、記録は残ったようで、あの時感じた痛みが残ってさえいれば、それを誰かがもし見ることがある日が来れば、僕の感じた孤独や痛みや消滅していく恐怖にも意味が生まれるのかもしれない。

 

実は今まであまりブログを真剣に書いてこなかったが結構物事を言葉で考え、言葉で突き詰めていく方だったりする。それが、客観的な論旨としてまとまるかはさておいてだが。

今、あまり展示やらライブやらの話がが少なく、仕事も決まらないままでかなり不安な毎日を過ごしている。しかし、これだけ文章を書く集中力や熱意は生まれている。いままで言葉を失っていたということもできるかもしれない。精神の病気をし、まともに人間の言葉をつらねることもできなくなっていた。本当にいままでずっと自慰としてアートを続けていたように思う。最近ようやく失われていた言葉を書く力が少し戻ってきたのかもしれない。失われていたか身につけていなかったかはもう分からなくなってしまった。必死でいきてきたんだな。それこそ、虫みたいに必死で生きてきた。でも、自分自身の人生なんて生きていないんじゃないかっていまもこわいくらいに思う時がある。

人生ってやつはマジでわからない。自分自身の意志や努力の力で切り開いていくこともある。でも、どんなにひとりであがいてみても、他者が介入してくるのが人生だ。自分自身の人生がうまくいっていないっていうのは、やっぱり簡単に考えれば、他者と調和できていないっていうことなんだと思う。この他者と調和できない感じっていうにがどこから生まれたのか本当にわからなくて悩んでいる。しかし、アーティストっていう人について考えてみれば、アーティストが他者と調和できる人間かといえばそうではない。時代や社会から疎外され、他者から疎外される人間に宿る反抗としての表現の力もまたアートなのだから。高校を卒業してから、僕が学んだのは叫び方それだけだったのかもしれない。社会から疎外され、理解されたいと苦心し、それでも、立ち止まってくれる人はいない。その、絶望の中で、声を上げる練習をし続けていたのかもしれない。

今も僕は評価されない芸術家だ。チャンスも多くはない。もちろん有名ではない。僕の存在に意味はあるか?僕は人に必要とされている人間なのだろうか。それを問い返し続けている。今この世界をアーティストとして生きることができないことは苦しい。でも、僕の存在の証拠、生きたその生存の証が、もし、誰かの目に止まった時、僕が感じた今の感じ、その、何にもなることができないながら生きる意味を見出そうあがきながら絶望することに、力がうまれ、それが、見出されることがあれば、僕はアーティストとして生まれたことを許される。

見つけてくれ。お願いだ。僕はここにいる。だから、見つけてくれ。その精神を。その魂を。生きた記憶を。生きた力の全てを。

今日も消滅と戦っている。無と戦っている。虚無と戦っている。何もない地平から全てを生み出そうとしている。

消えないでくれ。消えないでくれ。

産み出すんだ。

何もない世界から、

全てを産み出すんだ。

無から全てを奪い返すんだ。

消えないでくれ。

 

僕は昨日消えていくとうたった。

痛みも苦しみも消えていく。

でも、それでも、消えないでくれ。死なないでくれ。

忘れないでくれ。なくならないでくれ。

何もなかったなんていわないでくれ。

ぼくはここにいる2015年に。

 

 

アートとアティトゥード

アートに青春を燃やし、アートに二十代の若さの全てを傾けてきた。

現状アートで食えるようにならなかった。作品で生活している人も知り合いのアーティストにはいる。ぼくはなんでかそうはならなかった。

もう学生は終わりで、アート作品を売るめどは全然たっていない。

正直作品を売る話があれば、本当に心からのっかりたい。

アートの経済的な力を初めてアートだという意見がある。

しかし、これは、先進国の資本主義のあるほんのわずかのアートワールドのアートの話だ。そして、こと日本については、そんなアートワールドに片足を突っ込みながら、片足は遊んでいるような状態だ。

日本では売れるアートがアートであるとは言えない現状がある。

視点を変えてみれば旧共産圏のアートというのはこのアートワールドに明らかに異論を唱えるアートが存在している。

アートが売れるなんてことは旧共産圏ではあり得なかった。

しかし、アーティストはいたし、ことにソ連のアートは高いレベルのものがあった。

ミャンマー軍事政権下のアートにも興味深いものがあった。ぼくはなぜかそれらの資料を閲覧したことがあったのだ。

全世界的に起きているアートにはまだ経済化されない領域があるのだ。

アートが冷戦において特別な意味を持っていたのは、アートは自由主義の象徴であり表現の自由の象徴であったからだ。

それは、軍事的には高いレベルを持つ西側、東側の最も思想的な違いでもあった。

旧共産圏のアートは本当に面白いし、興味深い、個人的に研究をしていきたいことでもある。

冷戦が崩壊し、ソ連のアーティストは本当に作品が売れることになったそうだ。

さて、また日本の話に戻る。日本ではまだアートマーケットが小さく、それに対し批評の機能もまだしていないように思う。

日本のアーティストは多くが作品で食えない。

では、これはアートではないのだろうか。

いや、確実にアートなのだ。

もしかしたら旧共産圏にあったような純粋な芸術の形があるのかもしれない。

ヨーゼフボイスの発言の中でオルタナティブアート宣言というのがある。

未来の芸術はオルタナティブであるべきだという彼の考えだ。

ボイスはマーケットには好意的で若い作家が売れる手助けもしていた。

ボイス自身も日本の芸術家が迎えたオルタナティブは予想していたことではなかったかもしれない。ボイスのオルタナティブの中でも作品は売れることが前提だからだ。

日本のオルタナティブなアートのシーンは特殊だ。売れないのに、経済的な力がないのに作品を作り続けている。まるで、それは旧共産圏のアーティストたちがこっそりと政府から隠れ作品を作ってきたように。

今日友人と話している中で、

作品を売ることについて、僕はやりたいことをやって売れなければ意味がないというようなことを書いた。正直もっと強く書いたと思う。やりたいことをやって売るというアティトゥードでなければ、人身売買だと。金を払う代わりにレイプをさせろというのと同じだと言った。

ここにはアティトゥードがある。ここには未来へのメッセージがある。

やりたいことをやってそれを金にする。これは未来の世界を作っていくためのアティトゥードなのだ。今の世界の問題として労働がある。労働はやりたくないことでも、お金のためにそれをやるという前提が存在している。特に日本では仕事だからしょうがないみたいな考えがある。これは、本当に危険な考えだ。たとえば、それが仕事ではなくなって戦争になったとしても、それは有効なことだ。おそらく世界を悪くする支配者がいれば、労働を継続し、金で人を殺す命令にだって従うように都合よくお金に価値をもたせたいと考えるだろう。世界から労働が無くならない現在において考えれば、嫌なことをお金で売るという社会は継続している。

もし、アーティストが未来を作っていく戦いができるとしたら、

やりたいことをやって金にするというアティトゥードを崩してはいけない。

ボイスが発言してきた創造的な人間になるためには自発性が評価されなければならない。

人間が持つ自発性は世界を変えていく可能性がある。

だからこそ、アーティストは進んでやりたいことをやって金にしなくてはならない。

それは、労働という関係性を変化させ

自発的に働くことの意味を作り出す。

だからこそ、やりたいことをやるべきだ。たとえどんなに金にならなくても。

それは未来を作ることだから。

いま、金にならないことは確かにものすごく大変だし苦しい。

でも、もし労働という体制を変えるには自発的な意思の力を証明する他にない。

だからこそ、アーティストはやりたいことをやるべきだ。

どんなに金にならなくても、どんなに注目されなくてもだ。

その、自発性がこの世界に存在しているだけで歴史を変えることができる。

全てのオルタナティブな同志に捧ぐ。

久しぶりにブログを書く

久しぶりにブログを書きます。

活動報告やらいろいろライブの予定やら日々のことをかけるページがあるといいなと思い、ブログを再開することに。

今月に入りいろいろと立て込んでいた。

ライブパフォーマンスを三つこなし、和田昌宏さんの映像制作協力もした。

そういうことで半月ほど東京いました。

まずは松戸で、東京マスクフェスティバル関係のイベントで

djをしながらMcをしました。場所はこんなところでした。

https://madcity.jp/fanclub/

松戸ではmadシティーということで地域活性化事業としてアートが入り込んでいます。

このスペースもmadシティーの方々が運営しているようでいいスペースでした。

MAD City:松戸よりDIYと暮らし、物件情報を発信

松戸でのアート活動はなかなかしやすそうです。

久しぶりにかなりの長い尺ができたことがうれしかった。

djをするにはもっと曲のリストを増やさなければいけないと感じましたね。でも、なかなかおもしろいミックスができたように思います。聞いていた人はどんな感じだっただろうかなぁ。

で、このイベントが終わった後風邪をひいてしまい久しぶりに寝込むことに

東京滞在中に美術館など行きたかったのですが、全然いける時間が無くなってしまった。

そして、また、次のパフォーマンスをするべくイベントへ

前回の松戸のイベントも、このイベントも大川原修平くんが誘ってくれました。

彼にはかなり感謝です。前に僕が集客が振るわなかったレッドゾーンというイベントにも何度も出てくれました。

彼がマスク屋さんをしているそうなんですが、彼が集めたマスク作家の中の一人の個展会場でライブをしました。

nuisance galerie

場所は以上のところでカフェ花屋が一つのスペースです。下にも何かスペースがあるようです。なかなかいいところで、特にオーナーさんがすごくいい人でした。また、ここでも何か出来たら嬉しいなぁ。

一時間ほどソロでライブをして30分くらい大川原くんとセッションしました。

この日は風邪が治ったばかりでフラフラしていたんですが、命の危機を感じるとまた反対の力が燃え上がるという感じで、なんかめちゃめちゃいいライブが出来ました。

なんか記録が残せてたらよかったんですが、僕の方では何も記録を残さなかったのはかなり致命的でした。誰かがこっそりでもいいので残してくれていたら嬉しいですね。結構伝説的ないいライブでした。

Max/ mapで開発している自動演奏のプログラムが改良を加えて初めて使う感じだったんですがものすごく良くなっててびっくりしました。プログラムにハマってきました。

今後プログラムについても少しづつ報告ができたらいいと考えています。

そして、一日休みをおき

about | 威風DoDo(いふうどーどー)

これに参加してきました。

今回電気が使えないということで珍しく弾き語りスタイルでやることにしました。

かなり、目立たない感じでわざと風景に溶け込むように演奏しました。

あんまり存在感がなくて聴いてる人もいなかったかもしれません。

僕は結構楽しめて、もう少しいろいろ動いて他のパフォーマーともっと絡めばよかったという反省もしました。

日常の風景に突然アートかアートじゃないかわからない出来事が起きている感じが面白かったです。見る人も何がアートか誰がパフォーマーか考えなきゃいけない感じは結構独特で面白いと感じました。

最後に和田昌宏の映像作品に出演しています。

施工の手伝いをしたり料理したりと撮影以外でもいろいろ協力しました。

今回僕が料理したカレーとカニ鍋はなかなかうまくできたように思います。

なんか料理も仕事にできたらいいですね。

http://artazamino.jp/event/azamino-contemporary-20151108/

この中で僕が出演しています。

もう一つ別の上映作品の曲を製作中で

この展覧会の途中で僕の製作した曲と入れ替えになるかもしれません。

いい曲になったらサウンドクラウドにアップするかもしれません。

 

というわけで半月ほど東京で過ごしたのですが

今回は少し出演料がでたりしたものの、

やはり稼ぐにはならなかったです。

正直生活特にお金に困っています。

なんとか仕事を探していますので、何かいい仕事ありましたら連絡ください。

出演依頼や展示依頼を受けますので、何かあれば連絡ください。

今後、ドローイング上げたり現代美術についてのテキストを書いていこうかと思っています。毎日更新は無理かもしれませんが、とりあえずブログ復活ということでまた見に来てください。

 

 

久しぶりの日記

最後に書いたのはいつだっただろうか。

おそらく二年ぶりくらいの日記。

結局大学院を半年留年になってしまった。

今その留年の半年を過ごしているが、

なかなか気持ちは落ち着かない。

バイトをなんとか見つけて今バイトをしている。

しかし、始めたばかりのせいか全然金にならない。

正直金が全然ない日々を送ってる。

金がないし、展示やライブの話も今全くなくて、

この先どうやって活動していくか展望はなかなか見えない。

一ついいことがあった。

それは、結婚したこと。

今は奥さんと二人で暮らしている。

これは、僕の生活を大きく変える出来事だった。

お金がなくて、結婚式も指輪も用意できていない。

とにかく指輪はあったほうがいいと思い、指輪を自作して

奥さんにあげた。奥さんが喜んでくれたのは本当に

嬉しかった。

とにかく金に困っている。

なんとか、お金を得られるようにならないと。

人生は、まだうまくいかないことばかりだ。

2013 10月8日

久しぶりに日記を書く。

彼女ができて随分たつ。

彼女との生活も慣れてきた。

でも、幸せはずっと続いている。

とにかくあじわったことがないほどに幸せで、

本当に始めてこんなにも幸せな時間を過ごしている。

さて、未来はまだ分からないけど、今は少しよくなった。

あと、幸せな未来を考えるようになった。

いろいろと希望を抱いている。